ここ数ヶ月、今までの人生でベスト3に入るくらいのレベルで忙しかった。
これまでに自分で蒔いてきた種とはいえ、キツかった。
一言で言えば、「金策に走り回っていた」という感じだったわけだけど、
過去に区切りをつけるお金と、未来に向けて支払うお金をほぼ同時に発生させたせいだ。
自分で選んだこととはいえ、さすがにキツすぎた。
けどこれで、過去のいろんなことにケリをつけることができた。
そして同時に、未来のために行動するための時間と環境を作ることができた。
さすがにキツかったので、戒めの意味も込めて記事に書いておく。
目次
肉体労働などなどで、手にタコができた
手にタコができたり、すごく荒れた。
肉体労働はやっぱり慣れない。向いてない。
今回の金欠タイムでよくわかった。
ぼくは体力はそこそこだ。
これから先、何かを成し遂げることがあるなら、それは頭脳で光るタイプの人間だ。
それがよくわかった。
葛根湯と栄養剤
食事に使える時間も不十分の中で、食費に回せるお金もなくなってたので、
葛根湯とかキューピーコーワゴールドとかエビオス錠を飲みまくっていた。
栄養を補給していたというより、気分としてはギリギリ延命しているような感覚でいた。
肉体労働の筋肉痛が和らぐ、葛根湯は偉大だった。
キューピーコーワゴールドとエビオス錠を同時に飲むと、なんだかたくさん栄養を補給できたような気がして
なんとか立っていられた。
疲れすぎて、食事のときには(次にいつ食べられるかわからない状況が多かったので)、基本的にドカ食いして「食べないと死ぬ」だとか
寝る前には「深く寝て回復しないと、死ぬ」だとか
とにかく回復するように暗示みたいに唱えていた。
精神を安定させるために、スキあらば深呼吸をしていた。
肉体の疲労がピークを超えると、精神を蝕み始めた。
かなりギリギリだった。
助けられて生き延びた
なんとか超えられると思っていたけど、あと少しの所で計算違いがあって、追加でさらに金が要ることがわかり、ほとんど心が折れそうだった。
そして、また助けられた。助けを求めて、なんとか折れずにすんだ。
いざって時に助けてくれる人に報いるためにも、ぼくは生き延びたい。
今回の金策でかなり助けてくれた人がいた。
救うつもりが救われていた。
極論、「生き延びるか死ぬか」の二択しかないくらい追い込まれた状況だった。
本当に助かった。
見栄とかカッコつけとか、あんまり要らないな
死にものぐるいの日々でわかったことがある。
見栄とかカッコつけるのとか、今後の人生で必要なさそうだということだ。
生きるか死ぬかのレベルだと、格好なんか気にしていられない。そんな余裕はない。
そして、見栄やファッションでかためた「だけ」の人間には、カッコ良さを何も感じない。
結局実力だとかあふれる自信だとか、内側から発するカッコ良さにぼくは惹かれる。
ブランド物を身に着けたとか、髪の毛を染めた程度の薄っぺらいメッキみたいなものは、
死にかけた今のぼくにはよく見える。
どっしりとした精神の土台みたいなのがない人間は、ニオイが薄い。薄っぺらい。
カッコいい人間のオーラというのは、死線とか追い込みといった、修羅場を越えた経験からにじみ出るものだ。
自分がカッコいいとは思わない。フツーだ。
けど、少なくともメッキは必要ないと思う。
自然体でいい。自然体でも、十分。フツーだから。
そしてついでに、ぼくがカッコいいと思ってもらいたい人たちに限って、すでに情けないダサい姿を見せてしまっている。
今更メッキをほどこす必要はない。
ただ、自然体をより良くするように生きるだけでいい。
苦汁とか煮え湯とか、ガブ飲みするような過去だった
この日本という国に生まれたという世界目線の一般論はさておき、
ぼくの主観ではわりと恵まれていない人生を歩んできたように思う。
「若い時の苦労は買ってでもしろ」…なんていう言葉もあるように、自分が不利であってもやせ我慢してなんとか過ごしてきた。
さもヘッチャラであるかのように振る舞って、ヘラヘラしながら建前を並べてきた。
周りの顔色をうかがい、八方美人だとか思ってもない世辞をはいたり、
もう、うんざりだ。
そういうのとは、もうオサラバできる。
これからは本音を出せない人間とのかかわりはどんどん切っていく。
そう出来るところまで、来た。
「過去の思い出」とか「もったいない」とか、不要だ
コトが済んでから数日は、ガタが来てた心身を治すために、休んだ。
休んでいるうちに、掃除を思い立った。
生き延びたいと走り回っていた間、いろんな過去の思い出を振り返ったりはした。だけどいわゆる思い出の品だとか、いつか使うかもしれないと家に置いてあったもったいない道具たちは、チラリとも浮かんではこなかった。
つまり、追い込まれた状況でも引っ張り出したり使わないモノは、必要ないんだ。
過去との決別がてら、捨てまくった。
これからの未来には頭の中の思い出があればそれでいい。
思い出せなくなればそれまでだ。
モノは、また要るようなら買えばいい。
モノにあふれて、動きがにぶる雑念のための出費は無駄だ。今回身にしみた。
これからの未来は、より良い方へ進んでいく
こうして、ギリギリの戦いは助けられたおかげでなんとか乗り越えることができた。
過去とのケリをつけて、
未来を見据えて動く。
現在を未来のために使うことが出来る幸福。
今回のことで、自分のキャパシティの限界を見た。
限界以上に金や時間に困ってはいけない。
そんなボーダーラインが身にしみてわかった。
見栄や雑念がほとんどなくなったから、今後はあまり困らなそうではあるけど。
もう油断もない。集中力もいい感じに上がってきてる。
とうとう、やっと、ここまで来た。
今日から新しい日々が始まる。