ぼくは今、理想の自分自身を手繰り寄せつつあります。
理想は「遊んで暮らすこと」に設定していました。何年も何年も前から。
少しずつ少しずつ、どうすればそうなれるのか考えて、試して、失敗して、
けど諦めずに前進してきました。
そして今、のんきにこのブログを書く「時間」を稼げるようになって
近所の公園で、スマホでポチポチこれを書いています。
目次
遊ぶってのは楽しいと思えることをするってことだ
ぼくは子供の頃、テレビゲームが好きでした。
特にRPG、ロールプレイングゲームが好きで、世界観にのめりこんでプレイしていました。
スーファミのMOTHER2とか、クロノトリガーとか。
あとはドラクエ5とかドラクエ6とかですかね。
子供ながらに、脳みそにゲームの中のセリフや感動した感情が染み込んでいったのです。
「おまえら生きてない。死んでないだけ」っていう名セリフが心にぶっ刺さってる
クロノトリガーで、仲間のエイラってキャラクターが、強大な敵にウジウジ泣き寝入りしてる村人に対して反撃してこうぜっていう意味合いで、
「おまえら生きてない。死んでないだけ。」という名セリフを見て、ハッとしましたね。
2つの事に気がつくわけです。
生きるって、ただ寝て起きて飯食って仕事する、、だけじゃないってこと。
生きるって、立ちはだかる苦しいことに向かっていって、楽しいハッピーエンドを目指すってこと。
そんなことを子供ながらに考えました。
生きる=遊ぶの人生観になっていった
おとなもこどももおねーさんも、日々生きているのか?死んでないのか?
「ぼくにとって、生きるってなんだ?」
というようなことを、スーファミのコントローラーを握りながら考えるわけです。
ゲームしてる、楽しい。
晩ごはんのカレーが美味しい。
ドラゴンボール面白い、かめはめ波撃ちたい。
習い事してないのにクラスで足が速い、ぼくすごい。
うんこもれそうな時、苦しい。がまんはイヤだ。
、、、などなど。
生きることは楽しい、だとか
遊ぶように楽しむことなんだ、だとか
そういうことを考える人間がいるから
テレビゲームや輝かしいフィクションの世界は存在するわけで。
なら自分の人生を「そういうもの」としてとらえて、
どんどん良くしてく遊びを楽しもうと考えるようになっていきました。
生きる=遊ぶ
の人生観って言えばいいのでしょうか。
色んな事柄をゲーム感覚でとらえるクセがついてきた
生きてて、楽しくないことをするたびに
次第に、「遊ぶためにどうすればいいのか」を考えるようになっていきました。
アイテムを集めるように。
レベルを上げて呪文を覚えるように。
ストレッチをして体を柔らかくする、ゲーム。
本を読んで、語彙力を増やす、ゲーム。
本を読んで、かしこくなって出来ることを増やす、ゲーム。
出来ないことが何かわかる、ゲーム。
やりたいことのために何をすべきか探る、ゲーム。
すべきことのために何を集めるのかわかる、ゲーム。
ブログで言ったら、記事を増やす、ゲーム。
ドメインパワーを上げる、ゲーム。
お金を稼ぐ、ゲーム。
時間を忘れるために、時間を稼ぐ
自分が時間を忘れてのめりこむことがなんなのか、
それを知ることで、やっと「じゃあどうする?」の土俵に立てるわけです。
「自分を知ること」という、ありきたりな答え。
けどそれは、究極の武器になりえるわけです。
冒険の序盤の村に、伝説の剣が埋まってるようなもんで。
自分を知ることで、楽しいと感じること、苦しいと感じること、
楽しいことをやるための時間はどうやって作るのか。
いろいろ試すうちに、時間を稼ぐには金もいるってことがわかってきたり。
攻略のために必要なものを集める
どうやら時間を稼ぐためには、金もいるらしいことがわかってきました。
そりゃそうです。資本主義の社会に生まれて、メシを買ってもらって食べて、
ゲーム本体、カセット、コントローラー、テレビ画面もお金と交換で手に入るもの。
遊ぶっていうのは、時間を使っている。
なら、稼げばいいんだ。時間もお金も。
スキルも呪文も。
そのために削るべきものは削ればいい。
まとめ、遊ぶ時間を欲しがる自分に気づけたら、あとは攻略するだけ
生きる=遊ぶ
という人生観で、自分の人生を攻略している話
でした。
「自分を知る」というありきたりな答えに行き着いて、ひとつずつ出来ることを増やしながらここまで来ました。
雨風凌げる家に住み、寝て休んでいる時にモンスターに襲われることもない。
立ち向かって攻略する道があるってことはありがたいことです。
少しずつスキルや呪文、出来ることを増やしてきたおかげで、だんだんとくらし向きもよくなってる最中です。
ドラクエで言うと、はがねのつるぎを買った時くらいかな。
まだまだ途中だけど、生きることを楽しめるようになってる今日このごろです。
苦しいこともたくさん起こるでしょうが、攻略するだけです。